民進党など野党6党は5日、「イラク日報隠ぺい疑惑」野党合同ヒアリングを国会内で開いた。防衛省が国会で「不存在」と説明していた陸上自衛隊のイラク派遣部隊の日報が見つかったとの2日の防衛省発表に関して担当者から話を聞いた。情報公開請求に対して、本来開示すべき文書を開示していなかった点も非常に問題であるとして、経緯や対応を確認した。
防衛省は4日には「昨年3月に開始した南スーダンPKO日報問題に関する特別防衛監察の過程で、昨年3月27日に研究本部教訓センター長以下数名が当該日報の存在を確認していたことが判明した」旨を発表。「不存在と説明されてきた日報が見つかった」だけでも重大案件であるのに加え、「1年前に存在を確認していた数名がいた」ことについて事実関係を確認した。
希望の党の渡辺周議員は、前回のヒアリング等で防衛省が「昨年3月27日に研究本部教訓センター長以下数名が当該日報の存在を確認していたこと」について言及しないままの別の説明を繰り返してきたことについて、「昨日までわれわれが説明を受けていたことは何だったのか。虚偽の話を昨日までずっとしていたのかと思ってしまう」と指摘し、防衛省の不誠実な対応を批判。「研究本部教訓センター長以下数名が昨年3月27日に確認した」件を知ったのはいつかとの問いには、防衛省の担当者は「4月3日に研究本部本部長から報告が陸上幕僚長に報告があって、翌日陸上幕僚長が大臣に報告した」などと説明し、前回のヒアリングではこの件を把握していなかったとした。
「昨年の3月時点で知っていた者がいたにもかかわらず、当時の稲田大臣に報告せず、後任の小野寺大臣にも引き継がれなかったことについて、当該の研究本部教訓センター長は何といっているのか」との問いには、「まさにそこが大野政務官を中心とした調査チームが調査する対象になる」「今分かっていることはセンター長以下数名が確認していたということ。そこから上への報告がどこからなされていたということが調査の対象」などと説明し、防衛省の担当者は自身も昨日までその事実を知らなかったと強調した。政務官を中心とする調査という、文字通り「内部による調査」では不十分で第三者による調査を行うべきと指摘する声も出席議員からは出された。
調査結果の提出時期について防衛省側が「速やかに」との回答のみで期限を明示しなかったことから、「国会閉会後等ではいけない」とくぎを刺し、期限を区切って提出するよう求めた。
民進党の小西洋之議員は「防衛省は虚偽答弁を行っている」として問題視し、4月3日の国会質疑で「研究本部にあった日報がなぜ1年前には見つからなかったか」との問いに、「一見して日報であることがわかるようなファイル名でなかったため、その当時は探索できなかった」と答弁している点に着目。「ということは当時、研究本部の人間に探索できなかったという事実を確認しているはず。(昨年)3月27日時点で存在を確認しているとなると、虚偽のことを国会で答弁していることになる」と指摘した。
ヒアリングではまた、今年の3月31日に防衛大臣に報告されたとしている点について、同日は土曜日であり、官庁のほとんどが休日のこの日を選んで行われるのは不自然であり、予算の成立を待って行われたのではないかという見方ができると指摘する声も上がった。
「なぜ、研究本部に日報が残っていたのか」との問いに防衛省担当者は「残っていた理由についてはわからない。意識して保管しているということであれば、当然残っていた理由もわかるが、調査の対象になっているので意識があったかなかったについても定かに申し上げられない。意識がなかったのに残っていたとすれば残っていることに意味を感じていたかどうかも含めてわからない」などと回答。イラクへの自衛隊派遣の際にジャーナリストとして同行取材したという民進党の杉尾秀哉議員は「現場に自衛隊員の皆さんといた。私がいたときもロケット弾が飛んできた。異常な緊張状態だった。帰還後、公式発表があっただけでも30人の自衛隊員の方々が自殺されている。人の命までかけた派遣で、しかも非戦闘地域という概念まで作った初めての派遣。その記録について今、『意識して残すものだったかどうだったか』などと発言したが、意識して残すものであることが当たり前。自衛隊員の命(をかけた)、しかも歴史的文書。克明に内外で起きたことが記されている日報。そもそも意識して残すべきものだったかどうだったかはっきりしないなんて回答はあり得ない」と、防衛省担当者の答弁に不快感をあらわにした。
希望の党の後藤祐一議員は、日報作成から保存・発見までの経緯をすべて場所・日付等を詳細に明記して出してほしいと求めた。また、イラクの日報の存在が明らかになったことを踏まえ、「ロケット弾が宿営地内の荷物保管用コンテナを貫通した」との報があった2004年10月31日分と「弾着の音を数回確認した」とされる05年7月4日分の日報の提出を求めた。